dialogue 1
このブログ=一連のじぶん棚卸し作業から、
数年前に受けたアカシックリーディングのセッションで
「easy is rightさんならではの会をやるんじゃないでしょうか」
と言われたことをふと思い出した。
リーダーさんが言うには、毎回テーマを変えたワークショップみたいなイメージ。
テーマは今まで学んできたことだったり、これから学びたいことだったり。
好奇心だけは旺盛だが飽きっぽいワタシゆえ、今となっては超納得だ。
もちろんその頃はまだ完全に「Noの国の住人」だったから
ハァ!? (ヾノ・∀・`)ナイナイ
てな感じで全否定して終了。
棚卸し作業をする中ではっきりしてきたことは、何らかの場を持ちたいということ
常に根底にあるのは、知的欲求・渇望
そんなものを満たす水飲み場のような(水瓶座ですから。。。)
単なる娯楽や享楽的なものではなく
日常生活がもっと豊かにするような
もっと言うと生きる糧になるような
教養とか美意識とか感性とか想像力とか呼ばれる類のもの
「文学部は社会に出て何の役にも立たない、なんていう議論自体がおかしい」
と父が言ってて、文学部出のワタシは驚いたっけ。
「就職に役立つ実務的な経済やら会計やらシステムを勉強したほうがいい」
ということを言うヒトがいるのも分かる。
そういう視点からすればワタシの学んできたことはマッタク儲からない。
しかしワタシはその雑学がなければ今日の今日までサバイブ出来なかっただろう。
会計学んで会計士になりました!☆的な分かり易いものでは決してないが
雑学が血となり骨となり、ワタシに生き抜く力を与えてくれていたのだ。
ヒビノケイコさんも書かれてたけど、まさに見えないものへの投資だなー
これって実利主義のヒトからすると結構勇気が要るだろうな。
「一見無駄なもの」が宝である可能性は限りなく高い。